イスタンブール~その6 トプカプ宮殿散策~ [2012年トルコ・イタリア旅行]
トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı)に入場するとまずはハレムへと向かいます。
ハレムへの入場はトプカプ宮殿の入場料だけではなく追加料金が必要になります。つまりハレム用の切符売り場に並ぶ必要があるということです。
この切符売り場は時間帯によっては混雑していて行列ができるそうですが、開門してすぐに入場して真っ直ぐにハレムへ向かったところ待ち時間なしで購入することができました。
朝からトプカプ宮殿へ行く方はハレムを最優先することをおすすめします。
トプカプ宮殿はオスマン帝国皇帝の居城だったところです。
ハレムは皇帝の居住区でジャーリヤと言われる女奴隷を住まわせていました。
数百人から千人を超えるジャーリヤが暮らしていたと言われていますが、そのイメージから比べると思ったよりも広くありません。
一人ひとりのスペースはかなり狭かったのではないでしょうか。
それにしても建物に施されたタイルや装飾は見事なものです。
イスラム美術らしく幾何模様ばかりですが、技術の粋が使われていることが素人目にもわかりました。
ハレムを出るとすぐに金角湾が見えてきました。
東ローマ帝国時代、コンスタンティノープル(イスタンブールの当時の名称)の陸上側は二重の防壁に囲まれていましたが金角湾側は防壁が一枚しかなったため弱点となってしまっていました。東ローマ帝国は弱点を補強するために金角湾を鉄鎖で封鎖して侵入できないようにしていたということです。
しかし、船を陸上で運ぶという方法を取ることでオスマン帝国は金角湾への侵攻に成功しコンスタンティノープルは陥落することになりました。そして東ローマ帝国は滅亡し1000年を超える歴史に幕を下ろすことになったのです。
この件については塩野七生さんの著書"コンスタンティノープルの陥落"が非常に読みやすい物語としてまとめられているので是非お読みください。
そのような金角湾も今は戦闘用ガレー船ではなくクルーズ客船が停泊しており平和な風景となっています。マークからするとアメリカのセレブレティクルーズかと思いますが船名まではわかりませんでした。
宮殿の中を更に少し歩くと今度はボスポラス海峡が見えて来ました。
この海峡はアジアとヨーロッパの間に位置しています。
下の写真の手前側がヨーロッパ、対岸はアジアです。
イスタンブールという街はヨーロッパとアジア2つの地域にまたがって存在する街なのです。トルコ人を見るとアジアともヨーロッパともつかない顔つきの人が大勢います。それもこの景色をみると当然であるという思いがして来ました。
宮殿の中を散策していると昼が近くなってきて観光客も随分と増えてきたのでトプカプ宮殿から出ることにしました。
次はトプカプ宮殿のすぐ近くにある考古学博物館へと向かいます。
ハレムへの入場はトプカプ宮殿の入場料だけではなく追加料金が必要になります。つまりハレム用の切符売り場に並ぶ必要があるということです。
この切符売り場は時間帯によっては混雑していて行列ができるそうですが、開門してすぐに入場して真っ直ぐにハレムへ向かったところ待ち時間なしで購入することができました。
朝からトプカプ宮殿へ行く方はハレムを最優先することをおすすめします。
トプカプ宮殿はオスマン帝国皇帝の居城だったところです。
ハレムは皇帝の居住区でジャーリヤと言われる女奴隷を住まわせていました。
数百人から千人を超えるジャーリヤが暮らしていたと言われていますが、そのイメージから比べると思ったよりも広くありません。
一人ひとりのスペースはかなり狭かったのではないでしょうか。
それにしても建物に施されたタイルや装飾は見事なものです。
イスラム美術らしく幾何模様ばかりですが、技術の粋が使われていることが素人目にもわかりました。
ハレムを出るとすぐに金角湾が見えてきました。
東ローマ帝国時代、コンスタンティノープル(イスタンブールの当時の名称)の陸上側は二重の防壁に囲まれていましたが金角湾側は防壁が一枚しかなったため弱点となってしまっていました。東ローマ帝国は弱点を補強するために金角湾を鉄鎖で封鎖して侵入できないようにしていたということです。
しかし、船を陸上で運ぶという方法を取ることでオスマン帝国は金角湾への侵攻に成功しコンスタンティノープルは陥落することになりました。そして東ローマ帝国は滅亡し1000年を超える歴史に幕を下ろすことになったのです。
この件については塩野七生さんの著書"コンスタンティノープルの陥落"が非常に読みやすい物語としてまとめられているので是非お読みください。
そのような金角湾も今は戦闘用ガレー船ではなくクルーズ客船が停泊しており平和な風景となっています。マークからするとアメリカのセレブレティクルーズかと思いますが船名まではわかりませんでした。
宮殿の中を更に少し歩くと今度はボスポラス海峡が見えて来ました。
この海峡はアジアとヨーロッパの間に位置しています。
下の写真の手前側がヨーロッパ、対岸はアジアです。
イスタンブールという街はヨーロッパとアジア2つの地域にまたがって存在する街なのです。トルコ人を見るとアジアともヨーロッパともつかない顔つきの人が大勢います。それもこの景色をみると当然であるという思いがして来ました。
宮殿の中を散策していると昼が近くなってきて観光客も随分と増えてきたのでトプカプ宮殿から出ることにしました。
次はトプカプ宮殿のすぐ近くにある考古学博物館へと向かいます。
2012-09-29 06:40
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